ビターチョコレートは考える。
なんだ、ここは?
ここは、どこだ?
真っ暗だ、何も見えない
身体は?動かせる。なんとか。
身体はなんだ?なんだこれは。
腹が減った。なにか食わなければ...
とにかくここから出なくては、何もならない。
早く出なくては...
「なんだなんだ!?」
菓子屋の店長、サトウ氏は、けたたましい音で目を覚ました。目の部分にはめ込まれたピンク色の飴玉が、かすかな照明を反射しきらりと光った。
「こんな音がするのは、何かの缶が倒れた時くらいですが...まさか。」
保管庫にあったものを思い出しながら、サトウは慌てて寝間着のまま駆け出した。
サトウが予想したとおり、保管庫は酷い有様であった。
チョコレートを保管していた缶が倒れて壊れており、びちゃびちゃのビターチョコレートが四方八方に飛散していた。
「ひどい!なんという事だ!!いくらだと思ってるんですか、全く…チョコレートがダメになってしまった…いくら風味を損ねるからと言って…ああ…固形で保存するべきでしたかね...」
ぶつぶつと悔やんでも仕方が無い。起こった事実は変えられまい。
「しかし、誰がこんなこと...ここまで恨まれる覚えは無いんですけど...足跡も無いし...」
サトウは泣きたいくらいだった。数十万円で仕入れたチョコレートがこんな事になるなんて。怒りが湧いてくるも、誰にぶつければ良いのやら...サトウは、床に飛散したチョコレートを愛おしそうに撫でた。
「ああ、可哀想なチョコレート。お前はお客に出す訳にはいかないんです。残念ながら...お菓子にもなれずその一生を終えるのです。」
サトウは掃除用具を取りに行こうと、とぼとぼ歩いた
「ん…?」
しかし、サトウは違和感に気付く。
足元のチョコレートが、命を持っているように蠢いたのだ。
瞬間。
飛散していたチョコレートは、意志を持って、明確に、サトウに襲い掛かった!
「うわあああ!!何これ!!生きてる!!チョコレートが生きてる!!」
その時、サトウはチョコレートの声を聞いた。くぐもってはいたが、はっきりと。
「喰わねば。飯だ。」
サトウは意志を持ったチョコレートの雨に打たれ、身体が喰われ始めた。
ああ、なんだこのバケモノは。私は喰われてしまうのか。甘いチョコレートの甘い部分になって、私は生きてかなきゃならないのか。それとも死ぬのか。身体を構成する物質が全て無くなるのか。その時概念族はどうなるのか...
「こいつ、身体が砂糖だ」
「甘い、甘い」
「助けてくれ」
「精神まで汚染される」
「甘くなってしまう...」
ゾリゾリゾリとチョコレートが引いてゆく。
「甘くなる?どういうことなんでしょう...」
気絶したように動かなくなったチョコレートを、飴玉の目で見つめた。
「さて、これからどうしますか...」
動こうにも、喰われて所々欠けた手足はあまり動かない。
サトウが途方にくれていると、音を聞きつけたのかイチゴの概念族であるトチオがやって来た。
「ムムム、どうしたか サトウ氏」
「ああ、トチオくん チョコレートが...」
「襲われたか そうでしょう 生命を持った チョコレートが」
「いつ聞いても君の言葉は変だね...ん、待ってトチオくん...また動きはじめたよ」
再び動き出したチョコレートは、サトウに絡みつくように動いているものの、さっきのような敵意は持っていないようだ。
「飯だ」
「飯をくれ」
「死んでしまう」
「なくなってしまう 俺は」
チョコレートは身体をごぽごぽとうねらせて発声しているようだ。
「ほれ イチゴ どうだ」
トチオがぽいと投げたイチゴを見事に受け止める。チョコレートは水分をしぼり身体に取り込む。
「もっと もっとくれ」
「ほれ もっとやるぞ ぼくは持っている いっぱい 沢山 イチゴ...」
ひょいひょいと際限なくイチゴを投げるトチオ。一体どこにそんなにイチゴを持っているのだろうか。
そのうち、チョコレートはねだるような動作をしなくなり、動かなくなった。
「床がビッチョビチョじゃないですか」
「でも満足してるよう」
「むぐぐ...ごぽ...」
チョコレートは一塊になって身体をよじらせている。
「苦しんでる」
「はじめての満腹をあじわうのです ところでこのチョコレートはなんて名前です?」
「ビターチョコレートですよ」
「ム、じゃあ ビターか お前はビターだな」
なんて安直な。もう少し考えてやったらどうだ。と、サトウは思った。
「勝手に名前を付けないで下さいよ」
ムッとしながらトチオの方に向き直る。
「新しい生命には名前を付けねばならないのです。」
「まあそうですけど。...トチオくん、このチョコレート...概念族になってしまったのでしょうか。」
「どう見てもそうです」
「あああ、私のすうじゅうまんえん...」
サトウは頭を抱えた。
「とにかくあなたは身体を直さねば 砂糖を持ってこなければ ぼくは」
「あ、ああ、頼む。忘れていた。」
菓子屋の近くには居住区があり、従業員の中にはそこで暮らしている者もいる。
菓子屋の店長であるサトウもご多聞に漏れずここで暮らしている。
そして今日は、氷の概念族であるグレイスがサトウの部屋を訪ねてきた。
「で、どうだ?予後は」
「まあ動けるようには...チョコレート...あ、トチオがビターって呼べって煩くてね...ビターは罪悪感を感じてるのか知らないけど、...あ、ほら」
バケツに入ったチョコレート…ビターが蠢く。
「サトウ、俺にできることは?」
「こんな風に手伝ってくれるんだ。まあ、悪いやつじゃない。ビター、大丈夫だよ 」
「わかった」
まだ少し身を乗り上げるようにこちらを伺っているが、さっきよりは大人しくなった。
「へえ、割と従順だな。」
「まあ、まだ自我がしっかりしてないんでしょうね。自我がしっかりしたらきっとわがままになりますよ」
「そうだよな。…おっと、なんか言ってるよ」
ぐにゃぐにゃと人型を真似ながら、ビターは発声する。
「俺、サトウさんやこの人みたいにちゃんと動けるようになれるのか?俺ずっと液体のままなのか?」
「おっと、その心配は要りませんよ。この人が身体を作ってくれる人の所に連れて行ってくれるから」
「本当か!」
なんだか嬉しそうだ。
「彫刻師のアンドレさんなら腕は確かですよ。かっこいい姿にしてもらいなさいね。」
『私が生まれた時はどんな感じだったのだろうか』などと、無い記憶を探りながら、サトウは答えた。
こうして、ビターは固形の身体を得て、今の姿になった。彼がもう少し自我を得るのは、まだ先の話。