そんなことがありつつ、わたしはつま先から頭の先まで洗浄され終えた。
「大丈夫か?」
わたしはさっき爪が刺さった右手を心配してやった。
「…わかってました?」
見せたがらない。ぐいと引っ張ってみると右手には深々と傷跡が残っていた。
「えへへ…ごめんなさい、でもすぐ治るので大丈夫ですよ…」
まったくなんて怪物だ。わたしを傷つけたくないのはわかるが、自分の身を傷つけることは無いじゃないか。
「何か包帯のような…何か…へくしッ!!」
寒い!!そういえば服を着てなかった!!
「えーっと、服というか布というか、無いかね…?」
「あ!すみません…」
「ここがハカセが前使ってたクローゼットです」
長年放置されていたため少し汚れているが、確かに下着も服も自分が着ても違和感がない。むしろなんというか…落ち着く。
そして白衣まみれである。9割白衣だ。さすがにハカセと呼ばれているわけである。
クローゼットの内側に全身鏡が付いていたので、劣化して着れなくなった服で綺麗にしたのち自分の姿をまじまじと見つめてみた。黒髪黒目、癖っ毛で、生白い肌の痩せた男が写っている。
「ふーん…」
「どうですか?」
「どうって言われてもな…」
なんとなく見覚えはある気がする。しかし何か違和感がある。本当に私はこのような姿だったのだろうか…?
おっと、こんなことをしている場合ではない。綺麗目な白衣を細くさき、ジローの傷口を圧迫止血する。
「ハカセ、そんなことしなくても大丈夫ですよ…」
「まあそう言うな、好意には甘んじておくのが礼儀というものだ」
そして私はこっそり…でもないが、さりげなく爪にも布を巻きつけた。この怪物がいつ暴れ出すかわからんのでな。
「ふむ…これでいいだろう」
「ありがとうございますハカセ…」
ジローは申し訳なさそうながらも、内心とても嬉しいのだろう、落ち着かずにそわそわしていた。
「ふー」
人間としての体裁を取り戻し、ようやく一息ついて近くにあったソファーのようなものに腰掛ける。ずっと怪物…大きな生物ジローに気を取られていて気づかなかったが、この部屋には不必要なほどの広さを感じた。
ん?遠くが微妙によく見えない。わたしは少し目が悪いらしい。部屋の蛍光灯(の、ようなもの)の光がちょっと眩しい気がするが、気のせいだろうか。
「ちょっとこの家の中をまわってもいいか?」
「いいですよ〜」
部屋にある開けっ放しのドアからジローがはみ出しており、ジローは何やらこちゃこちゃやっている。
「何をやってるんだ?」
「ご飯を作ってます」
「ああ…なるほど…」
恐らく給湯室のようなものがあるのだろうな、とわたしは思った。
「ひ…広いな…」
家がめちゃくちゃに広く、わたしはかなり疲れてしまった。家というよりは研究所なのだろう。どの部屋も古びていたが、ある程度清潔に保たれていた。ジローには掃除という概念があるらしい。
ある部屋には様々なカプセルや機械が恐ろしいほどあり、弄ってみても何も反応がない。動かし方を知らないのか、壊れているのか、わたしにはよくわからなかった。大きなカプセルの中には割れているもの、しなびた何かが入っているもの、よくわからない液体が入っているものなど、その様相は様々であった。わたしが最初に見た部屋もこの部屋であった。
ジローが風呂と言っていた部屋は、どうやら巨大なカプセルなどの器具を洗う部屋だったようだ。わたしを洗った洗剤…器具用だったのだろうか…
床にはまだ少しジローの血の色をした水が残っていた…掃除をしなくては…
もう一つ、入っていない部屋を見つけた。たくさんのベッドがあった。泊まり込みで研究をしていたのだろうか。一つ残らずとても綺麗にされており、まるで誰かが帰ってくるように待っているかのようであった…
そしてここまで探索したところで疲労で足が止まってしまった。見た所奥にはまだ部屋があるようだ。それほど家が広いのか、わたしの体力が少ないのか、残っている記憶では推察できなかった。
部屋からさっきの部屋まで帰ってくるともうひどくクタクタで、またさっきのソファーにぐったりと座り込んだ。なんだか妙に落ち着くソファーである。
「うう…」
「どうでしたハカセ」
「ひ…ろい…」
「そうですかー」
ふふ、という声を漏らし、わたしの前にある机に小さな碗を置く。
「疲れたでしょう、食べてくださいハカセ」
何やら黄色い粥のような食べ物だ。何でできているかはよくわからない。スプーンで掬い、口に運んでみる。
…ぐにゃぐにゃした妙な食感、肉とも野菜とも分からぬ不思議…変な味。うまいともまずいとも言えず、気の利いたコメントも出ず、ただただ感情が困惑で満たされ、思わず口にした最初の感想は、
「なんなんだ…これは…」
であった。